【ニート・修行編②】とんだりはねたり【SEの長い長い話】
何かよい思い出、とくに子供時代の、両親といっしょに暮らした時代の思い出ほど、その後の一生にとって大切で、力強くて、健全で、有益なものはないのです。きみたちは、きみたちの教育についていろんな話を聞かされているはずですけれども、子供のときから大事にしてきたすばらしい神聖な思い出、もしかするとこれこそが、いちばんよい教育なのかもしれません。
「カラマーゾフの兄弟」(ドフトエフスキー)

- 作者: ドストエフスキー
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2012/02/10
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内定式での一幕
こう過去の自分の来歴を整理していると自分はどう好意的に評価しても「奇人・変人」の類なんだなぁ、ということがよくわかります。
就活後の会社の内定式において、人事部長に別室に呼び出されて「もうお前はもう人生とんだりはねたりするのはやめて真面目に生きろ。周りは結婚したり家をたてたりしているだろう」というお言葉をいただきました*1。ここからは人事部長のおっしゃる「とんだりはねたりしていた頃」の話ですね。
大学教授かホームレスか
一つ前のブログにも書いたのですが、私は(今でも)重度のHSPです。
そして学校のようなシステムは私のようなHSPには「あらゆる面において最悪な環境」でした。中学生の頃はあまりにも学校のストレスがきつすぎて、ストレス性の急性胃腸炎にかかりました。そのため中学校は途中から行くのを止めました。ようするに不登校児です。
「義務教育の中学校にさえストレスで体を壊して通学できない」って、日本の社会においては致命的で、要するに社会不適合者なんですよ。そうなると私の人生のまっとうな選択肢なんてほとんどないんですね。組織の中で生きるサラーリーマンなんて論外で、自分の将来は「学問の道において、学者として生きるしかない」*2というのが私が中学生の頃に下した結論でした。
ちなみに私の父は学者で「俺は大学教授になるかホームレスになるかのどちらかしかなかった」と昔話していたのですが、こういうところは本当に父にそっくりなんですよね...
すさまじく不毛な時代
高校は県外の進学校に進みました。中学校の頃もひどい時期でしたが、高校はそれに輪をかけてひどい時期で、今思えばすさまじく不毛な時期でした。それらのストレスのあまり頭痛がひどくなって部屋の中でうずくまって立てなくなってしまったり、食べ物は何を見ても吐き気がするような時期が続きました。
高校時代の3年間は、そうした苦しみから自分自身を守るのに自分の持てるエネルギーのほとんどを使い尽くしまいました。正直全く受験勉強なんてできる精神状態ではありませんでした*3。本当に不毛以外に形容しようのない時期でした。
おまけ
グールドのピアノの演奏が高校時代の心の慰めでした。CDが擦り切れて再生できなくなるまで聞きました。
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